マニア(8/24)
◆ 何かが好き、特定のメーカが好きという人、特定の芸能人や作家が好きという人も居る。SONY製品が好きだから家の中はSONYだらけという人だって居るに違いないが、総合家電メーカとなるとそうしたファンは減ってくると思う。
日立が好きだからとかPanasonicが好きだという人も居るとは思うのだが、それが熱狂的なファンかと言えばそうではない。自動車メーカなどにしても同じで、スバルやマツダの熱狂的ファンはいるかも知れないが、それが日産やトヨタとなると割合は減ってくる。特定の車に関してのファンは少なくはないが、車を買い換えると次の車に鞍替えになってしまう。
◆ SONYやAppleなどが沢山のファンを抱えるのは尖った製品を作るからだろう。万人受けしなくても良い、好きな人が好きになってくれればいいと思えるような商品はコアなユーザを獲得する。そういったユーザの見る目は厳しいし大量に売れるわけではない。逆に大量に売れてしまうと、そうしたユーザはうっとうしく思う事もあるだろう。
SUVブームの時に、猫も杓子もSUV,河川を荒らしたり他人の畑に入ったりでSUVのイメージが悪くなるのは嫌なんだと言っていた人が居た。本物のファンはにわかファンをうっとうしく感じるのだろう。
◆ 製品をひいきにする人の中には、良い部分も悪い部分も含めて冷静に見ている人も居る。万人受けはしない仕様だけれど俺はこれが好きなんだという風に、誰が何と言おうとこれが良いんだよ、他人には勧めないけどねのパターンだ。
もう一つは盲目的に崇拝してしまうタイプで、これは素晴らしい製品だから使わない手はない。何故これを使わない人が居るのか不思議でたまらないというタイプである。
◆ 自分が良いと思うのだから他人もそう思う日違いないとなってしまう。いや、自分だけではない、この製品を使う全ての人が良いと思っているはずなのに何故オマエは使わないのかとなる。
このタイプは以外と厄介で、とにかくその製品なりサービスなりが以下に素晴らしいものであるかと解き始める。それだけならば良いのだが、やがて押しつけモードに入る。
◆ 新興宗教に加入しろと迫るのと変わらない。私はそれは要らないよと言っているにもかかわらず、何故要らないとか、こんなに素晴らしいものを使わないのはおかしいとなる。
そんなことを言われたって人には好みがある。人類の99%がその製品を素晴らしいと思ったとしたら、私は残りの1%なのだ。が、そうした説明すら通用しない。何故残りの1%になる必要があるのだと始まってしまう。
◆ 私が不思議に思うのはSBMな人のように、何故SBMが好きなのかは分からない人たちだ。崇拝しているのは分かるのだが、何を崇拝し何を是としているのかが分からない。俺はあの会社のここが好きだから応援しているとか、社長のここが好きだからファンなのだと言えばそれは分かる。しかし彼らはそれを言わない。自分の本心を言うのが恥ずかしいなどと思うシャイな心は何十年も前にどこかに置き忘れてきているのではないかと想像するので余計に不思議なのだ。
◆ 一度真面目に聞いてみたいのだが、彼らがそれに答えてくれる可能性は皆無だ。アンチに何を言っても無駄だと逃げられてしまうだろう。好きだから好きでもそれは理由になる。
宗教心などはきっとそうで、何がとかどこがとかではなく全体的にすっぽりとはまり込んでいる状態だと思われるからだ。だからそんな理由でも良いのだが、あそこまで夢中になれるのだから何かしらの理由があると思うんだけどなぁ。
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