物語-東京地震-(5)(4/27)
◆ 品川まで来るのに、更に4時間ほどを要しただろうか。品川駅付近には傾いたビルこそ有るものの完全に倒壊した建物は見えない。道路は亀裂が走り波打ち、水道管の破裂なのだろうか水浸しになっている。品川駅より山側では火災が発生しているようで、火災特有の臭いと煙が漂っている。このまま国道一号を西に向かって行けるのだろうか。ビル群が少なくなる代わりに民家が増えるこの地域で火災に巻き込まれたら大変だ。右往左往している人々もきっと情報がないことで不安を倍増させているに違いない。人々は練馬や杉並の方が火の海になっているとか、京浜工業地帯で有毒ガスが漏れだしているとか騒いでいるが、一体何が本当の情報なのか全く解らない。
◆ 品川付近でも電気は当然駄目、電話は携帯も有線も駄目、道路は自動車が走れるような状態ではなくAMラジオも聞こえない。道路付近では火災こそ発生していないが、道路沿いがずっと安全だとは限らない。
線路を歩いている人々が見える。道路よりは安全なのかも知れないが、崩れている高架橋などだってありそうだ。さてどうしようか。今はコンビニで頂戴した食料があるが、やがてこの一体の食糧事情は急速に悪化するに違いない。ここまで一緒に逃げてきたOLさんは人の多さに安心したのかここに留まるという。私は更に西を目指して国道一号線沿いに横浜を目指すことにした。
◆ 大崎を過ぎると地震の被害もかなり少ないというか、それでも倒壊した民家などは見受けられるのだが都心の瓦礫の山と比べればずいぶんマシだ。震源が浅い地震は遠くまで伝わらないと言うし、この辺りは地盤が固かったのかも知れない。火災も余り起きていないようで、商店主などは店の中の壊れた品物を路上に放り出していたりする。そんな店主に地震の状況を聞いてみると、TVもラジオも地上波系は全滅しているらしいと言いながら携帯電話内蔵TVに何も映らないところを見せてくれた。もしかしたら衛星放送なら大丈夫なのかも知れないが、停電が続く現状ではTV受像器を稼働させることが出来ない。
◆ 深夜になってやっと多摩川を渡ることが出来た。
ここまで来ると倒壊家屋も火災も発生していない。道路にも普通に車が行き来している。だが電車は走っておらず停電も続いているようだ。明け方になると、パトカーや消防車が走り回って火災に対する注意やけが人が居ないかなど広報している。避難所も設けられていて、避難所となった学校などに人が集まっているが、食料は無いに等しい。私の手持ちの食料もそこを尽き、自転車をこぐ足にも力が入らない。
この被害状況だと、川崎辺りまで行けばタクシーくらい走っているかも知れない。ただし物資輸送は難航しているようで、少なくともコンビニに食べられるようなものは残っていなかった。
今は珍しくなったアマチュア無線家がハンディートランシーバを持って歩いていた。彼に情報を求めると、国道16号線より外側では被害はたいした事がないようだと言っていた。大規模無線系の通信が殆ど駄目な中、意外にアマチュア無線が使えるのかも知れないなと思った。
◆ こんな風に都心で大地震に遭い、自宅を目指す人は相当数にのぼるはずだ。都心直下地震の場合は津波の心配は少ないが、震源地が海中の場合は海抜の低いエリアの多くが浸水の被害を受けるだろう。
災害予想によると全壊或いは半壊家屋15万戸、死者行方不明者数12万人、重軽傷者40万人、消失40万戸、焼失面積1万ヘクタール、帰宅困難者600万人…通信手段も情報の取得も困難な中、災害後に一体自分はどこに行けばいいのか、どこに逃げれば助かるのか、果たしてどの程度の人が冷静に判断出来るのだろう…
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